江戸時代、たくさんの集落の年貢徴収などを行う農民代官役のことを加賀藩では十村役(とむらやく)といい、ほかの藩では大庄屋にあたるものです。雄谷家は十村役を務めた家で、この家は江戸時代中期に建てられました。現存する志賀町で最も古い民家の一つです。
この碑は、佐渡に住む僧侶日静が亡くなった翌年の正安4年(1303年)にその弟子によって建てられましたが、佐渡の日静の名がなぜ能登に刻まれているのでしょうか。能登と佐渡との歴史に一石を投じるものとして貴重な碑なのです。
懸仏とは、銅や木などの円板上に仏像などをあらわし、柱や壁にかけて礼拝するためのものです。
平安時代に登場し、鎌倉・室町時代に盛んに作られるようになりました。矢駄加茂神社の懸仏は、種子とよばれる表面の仏を銅版で切り抜いたもので、大変めずらしいものです。
室町時代、土田を治める地頭の得田章光(とくだのりみつ)が、羽咋市滝谷町の妙成寺に願い出て製作された8巻からなる日蓮宗の経本のことで、現在は高浜町の寺院に保管されています。
昭和37年(1962年)にヤマザクラ系の新種として発見されました。
木は火打谷の石川県緑化センターの中にあり、4月下旬から5月上旬に花が咲き、満開になります。
イカリモンハンミョウは、甲虫目ハンミョウ科に属する昆虫で、日本では石川県と宮崎県・鹿児島県にしか生息していません。特に石川県はこの虫の生息の北限として大変重要な位置にあります。
江戸幕府が直接治めた地を天領といいます。志賀町にはいくつかの天領地があり、これらをとりまとめた庄屋が平家で、当時の文書が数多く残されています。
天領庄屋を務めた平家の庭園は、江戸時代中期につくられ、羽咋市の妙成寺書院庭園や輪島市の下時国家庭園とともに能登地方の庭園文化の研究の上で重要な庭園です。
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