江戸時代、北海道・東北・北陸と西日本を結んだ西回り航路は経済の大動脈であり、この航路を利用した商船は北前船と呼ばれました。北前船は、米をはじめとした物資の輸送から発展し、船主自身が寄港地で仕入れた多種多様な商品を、別の寄港地で販売する買い積み方式により利益をあげたことから「動く総合商社」と形容されています。日本海や瀬戸内海沿岸に残る数多くの寄港地・船主集落は、北前船の壮大な世界を今に伝えています。
志賀町福浦港は、古くは渤海国との交流の地として、または北前船の避難港として旧福浦灯台・腰巻地蔵をはじめとして有名な場所でもあります。
志賀町は、令和2年6月に白山市と大阪府泉佐野市の3市町が日本遺産「荒波を超えた男たちの夢が紡いだ異空間 ~北前船寄港地・船主集落~」に追加認定され、計48市町が認定されています。
福浦港の日和山台地に位置し、高さ約5mの木造洋式灯台。
慶長13年(1608)福浦の日野資信(すけのぶ)が、日和山の岩壁上に篝火を焚き、暗夜の海を航行する船を護ったことが最初と伝えられ、現存する灯台は明治9年(1879)に17代長兵衛によって建造されました。当初の建設場所に留まって現存する木造洋式灯台としては、我が国では最古であります。 旧福浦灯台は、昭和40年3月に県の史跡として指定されています。 |
福浦港の日和山台地に位置しています。
日和山の岩壁上に旧福浦灯台・金刀比羅(こんぴら)神社・方角石(石造方位盤)が設置されています。日和山の上に立つと、日本海が一望できます。 |
方角石(石造方位盤)は、正方形の盤面に、磁盤を巡る十二支を陰刻し、さらに周りに東西南北が示してあり、弘化4年(1847)3月に船頭佶平が海上安全を願って寄進したものです。
方角石は、昭和49年1月に町指定文化財に指定されています。 |
佐渡屋客船帳(佐渡屋(船宿)の客名簿)のほか、腰巻地蔵・四爪錨(よつづめいかり)・極楽坂などがあります。
佐渡屋客船帳は、佐渡屋の得意先の記録で寄港年月日・船主・船名・帆印・船頭名等を記したものです。 | |
腰巻地蔵は、遊女が馴染みの船頭を引きとめたい一心で地蔵に腰巻を打ちかけたところ、海上が時化となり、長逗留させた事がうわさとなり、地蔵に腰巻が巻かれるようになり、腰巻地蔵の名が付けられました。
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四爪錨(よつづめいかり)は、福浦港近海より引き揚げられた物であり、全長259cmでその形状から18世紀中頃に製作されたものとされています。
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極楽坂は、旧福浦灯台と腰巻地蔵の間にあり、北前船で航海時に亡くなられた水夫や身寄りのない遊女など300体以上埋葬されている墓地で、福浦区では毎年6月に供養を行っています。
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金刀比羅神社拝殿には、航海安全を祈願し、絵馬が29点奉納してある。また狛犬や向拝の龍飾彫刻などの寄進されたものです。絵馬については非公開。
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猿田彦神社にも絵馬が31点奉納してあり、両方の絵馬は昭和53年11月に町指定文化財に指定されています。
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福浦港周辺の岩場や岩礁の突出した部分を刳り貫いて孔を開け、その孔に綱を通して船を繋いだ施設です。福浦周辺に約30か所残っています。
北前船往来の隆盛時から“めぐり銭”と称して停泊料を徴収し、維持管理に充ていたようで、他に例がない特殊な施設です。 めぐりは、昭和49年1月に町指定文化財に指定されています。 |
宵祭り、本祭り、裏祭りの3日間あり、宵祭りでは本祭りの海上渡御を行う船を決める「神籤の儀」が行われ「毎年大例祭神船簿」によると23か国の船が神船として記録されています。
また、裏祭りには、芸妓たちが三味線・太鼓・囃子に合わせて猿田彦神社に参拝し、境内で手踊りを披露した名残りが、現在の仮装行列となっています。 福浦祭りは、平成14年1月に町無形民俗文化財に指定されています。 |