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| 加能 作次郎(かのう さくじろう) Sakujirou Kanou(1885-1941) 小説家/翻訳家/編集者
大正から昭和にかけて活躍した小説家。 早稲田大学在学中に「ホトトギス」に掲載された「厄年」でみとめられる。 田山花袋に師事。 博文館に入社し「文章世界」の編集にたずさわる。 1918年「世の中へ」で文壇的地位を確立。 1941年急性肺炎のため逝去。
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| 坪野 哲久(つぼの てっきゅう) Tettsukyu Tsubono(1906-1988) 歌人
1906年、石川県羽咋郡高浜町に生まれる。 1925年、東洋大学入学と同時に「アララギ」に入会し、島木赤彦に師事。同時に「ポトナム」にも参加する。 1928年新興歌人連盟結成に加わり「短歌戦線」創刊に参加。 1929年には渡辺順三らとプロレタリア歌人同盟を結成「短歌前衛」を創刊する。 1937年、歌誌「鍛冶」(のち「航海者」「氷河」と改題)を創刊。 1940年には合同歌集『新風十人』(八雲書林)に参加。戦後は渡辺順三らと「人民短歌」を創刊、1972年、歌集『碧厳』で第23回読売文学賞を受賞。 1988年前頸部癌のため逝去。
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| 尾佐竹 猛(おさたけ たけき) Takeki Osatake(1880-1946) 大審院判事/明治文化研究者/日本史学者
1880年(明治13年)石川県羽咋郡高浜町(現在の志賀町)に生まれる。 1896年(明治29年)明治法律学校(現在の明治大学)に入学。 1899年(明治32年)卒業後、判事検事登用第一試験に合格し、司法官試補となる。その後、判事に任官して福井、名古屋の裁判所、東京控訴院判事、大審院判事を務める。 また、明治大学教授、東京大学講師などを歴任。 1928年(昭和3年)に東京帝都大学(現在の東京大学)から法学博士を授与。 1926年(大正15年)に吉野作造らと『明治文化研究会』を結成し吉野作造の死後、第二代会長を務めた。 1946年(昭和21年)急性肺炎のため死去。
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| 南 政善(みなみ まさよし) Masayosh Minami(1908-1976) 洋画家
洋画家。東京美術学校卒業。藤島武二に師事。 1928年、1931年文展で特選。 1965年日展出品作品「青衫の女」で文部大臣賞受賞。 新樹会創立会員。光風会理事。日展評議員。1976年逝去。
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| 渡野 玖美(わたりの くみ) Kumi Watarino(1947-2004) 小説家、編集者
志賀町出身の小説家。本名:大門紅美枝。 処女作品「五里峠」で第一回日本海文学大賞を受賞。 加賀市に住み、地元の文芸活動に多大な貢献をする。 また「金澤文學」創刊に参加し、第2代編集長を務める。 2004年くも膜下出血ため逝去。
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